口頭弁論(その1)

先日7月15日(金)午後2時半〜3時まで東京地裁第611号法廷で、「国籍確認訴訟」の口頭弁論が行われ、三人の母親と一人のJFCの子どもが法廷に立ちました。内容を順次紹介します(尚、三人の母親の原文はタガログ語です)。

リリベスさんの陳述書
私はリリベス・アンティクエラ・ニシと言います。年齢は38歳でジェイサという8歳の日本人との間に生まれた子どもがいます。ジェイサは真正なる日本人の子どもですが、この子が本当に日本人の子どもだとの証明として認知を得るために私は闘わなければならなくなったのです。そして、この子が認知を得るまでにたくさんの困難を経験しました。

私は13年間,日本の国でオーバーステイをしていました。そして、1995年当時、私が働いていたクラブでジェイサの父と知り合ったのです。私は数々の甘い言葉や約束を信じていました。そして、私は彼の子どもを妊娠したのです。私たちの幸せはずっと続いてゆくものだと信じて疑いませんでした。しかし、そのときから私の人生における困難が始まったのです。

私が妊娠をしたと知った途端、彼は人が変わり、私にはもう会ってくれなくなりました。私はどうしてよいのかわかりませんでしたが、一方で私のおなかは大きくなっていくばかりでした。そして、私はとにかく無事に子どもを生むために心を強く持とうとするだけでした。

あるNGOのおかげで、私は子どもの権利のために闘う決心をすることができました。そして私と娘は裁判に勝ち、裁判所は娘に認知を与える判決を出したのです。しかし、娘が認知を得ても、日本国籍を得られないとは思いもしませんでした。

2004年5月、私はある日本人と知り合いました。彼はとてもまじめな人でした。私に子どもがいるにもかかわらず、彼は私に結婚を申し込んできました。私ははじめ冗談だと思っていました。しかし、この日本人男性は私と結婚してくれたのです。彼は娘のジェイサを養子にし、本当に彼の子どもとして受け入れてくれました。彼はジェイサを本当の子どものように扱ってくれます。

彼はとても優しく、思いやりのある夫です。はじめは娘のジェイサとうまくいかないのではないかと心配しました。しかし、二人はまったく問題なく仲良くやっています。他の日本人のように、仕事にとても忙しく、朝早く仕事のために家を出て、夜遅く帰宅します。それでも、夫はなんとか家族のために時間を作ってくれ、私たち母子をよく遊びに連れて行ってくれます。私たちの家族のようなハッピーエンディングは映画の中だけのことかと思っていました。しかし、本当にこんなことは現実にあり、それが私たちの今の生活なのです。

家族にとって最も大切なのは、お互いを愛し、信じあい、尊敬しあうことで、血のつながりは重要なことではないと思います。私はジェイサの本当の父親と結婚することはできません。それは、私には夫があるからです。彼が私の夫であり、血のつながりはないとしても、彼がジェイサの本当の父親なのです。

どうか、私たちのご事情にご理解頂き、私たちが求めている、ジェイサのような私の娘を日本人として認めてくださいますようお願い申し上げます。

ありがとうございました。
リリベス・アンティキエラ・ニシ