愛子ちゃん国籍取得!

千葉の法務局へaikoちゃんの国籍再取得(17条)に行ってきました。aikoちゃんが選んだ日本名は「愛子」。亡くなったお父さんが付けてくれた名前です。愛子ちゃんは弟2人とご両親とフィリピンで暮らしていました。愛子ちゃんの小学校の卒業式の前日の朝にお父さんから「明日は卒業式に出席するよ」と言われて楽しみにしていました。その日、仕事に行ったお父さんは二度と帰らない人となってしまったのです。仕事の電気事故で亡くなってしまいました。

翌日、愛子ちゃんは卒業式には出席せず、お父さんのお葬式となりました。一番下の弟はまだ3歳でした。今、弟にお父さんの記憶はありません。写真で見るお父さんしか知らないそうです。

その後、一家は経済的に非常に困窮し、お母さんは子どもたちを養うため働きに出ました。お父さんがいなくなってしまったあとの生活は経済的にも精神的にも本当に大変だったと語ります。

高校を卒業した愛子ちゃんは幼いときにお父さんから聞かされていた日本へ行って見たいとずっと思っていたそうです。18歳の単身で昨年来日。親戚の家にお世話になりながら、短期滞在の在留資格を日本人の配偶者等へ変更申請し無事に許可。今はケアギバーとして働いています。お母さんの苦労を知っている愛子ちゃんは「お母さんは病気の祖父母を面倒みているので私が助けてあげなきゃ。それに弟二人はまだ学校に行っているし」と稼いだお金もフィリピンの家族へ送っています。

愛子ちゃんのお父さんがなぜ愛子ちゃんの出生後、3ヶ月以内に日本の大使館へ出生の届出をしなかったのかは今となっては分かる術もありません。愛子ちゃんのご両親の結婚も日本へ届けられていませんでした。もしかすると、お父さんはフィリピンで家族で暮らしているので日本に届ける必要もないと考えていたのかもしれませんね。でも、愛子ちゃんたち子どもたちには、「お前たちが大きくなったら日本に連れて行ってあげるからな」と日本の自慢話をいつもしていたそうです。もしかすると、まったく頓着してなかったのかもしれません。

愛子ちゃんは来日後、6ヶ月経ち、ようやく国籍再取得の手続きができるようになりました。その間、親戚の助けがあったから食べることには困ることなくここまでたどり着けましたが、やはり頼るものなく単身で来て、国籍再取得をするのは本当に大変です。

「今度はすぐ下の弟を呼び寄せて日本国籍をとらせてあげたい。お父さんの国を見せてあげたい」。愛子ちゃんの希望です。愛子ちゃんがはじめて自分で書いた自分の名前です。