最高裁判所大法廷で口頭弁論が行われました

 4月16日(水)午後2時から最高裁判所大法廷で口頭弁論が行われました。フィリピンタイムを恐れて、前日からフィリピン人のお母さんたちには電話でしつこく時間に遅れないよう念を押し、当日は12時半にJR新宿駅西口に一度集合。誰一人として時間に遅れることなく(なんだやればできるじゃん!)、皆で最高裁判所へと向かいました。1時ごろに最高裁判所南門に到着すると傍聴を希望する人たちの長い列ができていてみんなびっくり!応援に駆けつけてくれたフィリピン人のご夫婦と1歳の娘。赤ん坊は傍聴できないと断られ…、やむなくパパが子守で外で待機するはめになっていました。
 原告の子どもたちとお母さんたちは特別傍聴券を配布され、傍聴席の一番前を確保。原告で一番年長のジュリアンちゃんとお母さんのチャーレッテさんは弁護士とともに法廷内の席に座ることができました。
 口頭弁論は山口先生、近藤先生、張先生、細田先生、濱野先生が行いました。実は、原告の代表としてジュリアンちゃんに意見陳述をさせてもらうようお願いしたのですが認めてもらえなかったので代わりに弁護士さんがジュリアンちゃんの陳述書を読み上げる形をとりました。
 みんな、はじめての大法廷に興奮しキャアキャア言いながらデジカメや携帯でパチパチ写真を撮りすっかりおのぼりさん気分でした。「私語は禁止!」と繰返し念を押されていざ法廷へ。約40分の長い弁論が行われている最中、原告の子どもたちの中にはスヤスヤ…、お母さんたちもがんばって前を向いて耳を傾けてはいたものの、難しい日本語にコックリコックリ…。
 最後の濱野先生の弁論は原告の子どもたちの状況を具体的に説明したものだったので比較的分かりやすく、ジュリアンちゃんの陳述引用したときにはジュリアンちゃんも母親のチャーレッテさんも目頭を抑えていました。
 口頭弁論終了後、4時から司法記者クラブで記者会見が行われました。とくにマサミちゃんとジェイサちゃんがしっかり意見を述べていたことに感心し、3年間で子どもたちの成長を実感してウルウルしてしまいました。


 長いですが弁論要旨を以下に添付します。

弁 論 要 旨

上告人訴訟代理人弁護士 山口 元一 外

既に提出した2006年5月8日付上告理由書を前提として、過去の最高裁判所判例との関係という観点から若干の補足をし、被上告人の平成20年3月13日付答弁書にして最小限の反論を行います。
1 主として手段の違憲性について〜尊属殺違憲判決との比較を念頭においた主張
(1) 現行法における国籍取得に関する異なる取り扱い
現行国籍法のもとでは、上告人のように、外国人母から出生し、出生後に日本人父から認知を受けた子は、認知によってはもちろんのこと、認知にくわえて届出をした場合であってもなお、日本国籍を取得しないとされています。
これに対して、同じく出生後に認知を受けた場合であっても、外国人母と日本人父が婚姻している場合は、国籍法3条に基づく届出による日本国籍取得のみちがひらかれています。また、認知が出生前に行われた場合は、出生と同時に、国籍法2条1号に基づいて日本国籍を取得します。
すなわち、現行法のもとでは、同じく日本人父と外国人母から生まれた子どもであっても、A 父母が婚姻をしているか否か、B 認知が出生前と出生後のいずれであるか、という点で、日本国籍の取得について異なる取り扱いがされています。
(2) 異なる取り扱いの理由
これらのような、異なる取り扱いをする理由として、まず、上記Aの点については、法律婚尊重主義のもとでは、非嫡出子と嫡出子の取り扱いには法律上の差異があること、準正子の場合は、父との結びつきが、非嫡出子よりも類型的に強いことがあげられ、上記Bの点については、生来的な国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいという、いわゆる「国籍の浮動性防止」が指摘されています。
(3) 国籍を得られないことによる大きな不利益
しかしながら、国籍を得られないことによる、基本的人権の制限には、実に大きなものがあります。すなわち、基本的人権は、外国人にも保障されていますが、以下の権利は否定されています。
1)日本における在留の権利(ないし引き続き在留することを要求しうる権利)および入国の自由(最大判昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁、最一小判平成4年11月16日最高裁判所裁判集民事166号575頁)
2)指紋押捺を強制されない自由(最三小判平成7年12月15日刑集49巻10号842頁、最三小判平成10年11月10日判例地方自治187号96頁)
3)国政および地方の参政権(最二小判平成5年2月26日判時1452号37頁、最三小判平成7年2月28日民集49巻2号639頁、最三小判平成12年4月25日判例地方自治208号49頁)
4)管理職としての公務就任権最大判平成17年1月26日民集59巻1号128頁)
(4) 手段の違憲
このような国籍の重要性にかんがみると、仮に立法目的自体が正当であっても、立法目的にてらして異なる取り扱いに合理性が認められない場合はもちろんのこと、異なる取り扱いの程度が極端であって、立法目的達成の手段としてはなはだしく均衡を失する場合は、その差別は著しく不合理なものとして憲法14条に反すると考えるべきです。
こうした上告人の主張は、尊属殺重罰規定に関する最大判昭和48年4月4日(刑集27巻3号265頁)に照らして、正当なものです。すなわち、同判決は、旧刑法200条の尊属殺の規定について、「被害者が尊属であることを犯情のひとつとして…法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもってただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはでき」ないとしたものの、「加重の程度が極端であって、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なもの」として違憲となるとして、法定刑を死刑又は無期懲役刑のみに限っていた旧刑法200条を違憲としました。
(5) 法律婚尊重主義からくる説明の不合理
この観点から、まず法律婚尊重主義からくる理由付けについて検討をします。
1)準正子の場合に、父との結びつきが、非嫡出子よりも類型的に強い旨の点に関する批判は、既に上告理由書で述べたところです。非嫡出子と嫡出子に関する民法上のさまざまな取り扱いの違いは、法律婚尊重主義から理由付けられますが、生活上の一体感とは無関係です。国籍法の場合にのみ、このような極めて感覚的な概念を持ち出して区別を合理化することはできません。そもそも、胎児認知に基づく国籍取得を認めるわが国の国籍法において、生活上の一体感を根拠に国籍取得の区別を合理化することはできません。
2)また、上告人は、上告理由書で述べたとおり、父母の婚姻のみならず、届出を要件とすること自体について、憲法第14条に違反すると考えていますが、仮に法律婚尊重主義の点から、嫡出子と非嫡出子を完全に同じ扱いにすべきではないという立場にたったとしても、上記のような国籍の重要性に鑑みて、届出による国籍取得まで否定するのは、異なる取り扱いの程度が極端で、立法目的達成の手段としてはなはだしく均衡を失します。
(なお、帰化制度は、届出による国籍取得とは別個の制度であり、その存在によって手段の違憲性が治癒されることはありません。)
(6) 「国籍の浮動性防止」の点について
「国籍の浮動性防止」についても、既に上告理由書で詳しく述べたところです。「国籍の浮動性防止」という目的は、国籍の遡及的な取得を否定し、あるいは具体的に不都合が生じることが明らかになった場合にのみ遡求的な取得を否定すれば、じゅうぶんに達成することができます。
(7) 結論
以上の理由により、国籍法3条は、父母の婚姻、届出を必要とする点で、憲法14条に違反し無効です。
仮に、届出を必要とする点は違憲ではないとしても、父母の婚姻を必要とする点は、やはり憲法14条に違反します。
2 主として目的との関連性について〜相続分差別に関する最高裁判例との違い
(1) 相続分差別に関する最高裁判例の援用
非嫡出子と準正子の国籍取得における異なる取り扱いについて、法律婚尊重主義で合理化する立場からは、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めた民法900条4号ただし書の規定、さらにそれを憲法14条に違反しないとした一連の最高裁判決(最一小判平成16年10月14日判時1884号40頁など)が指摘されます。
(2)  相続分差別に関する最高裁判例が本件に無関係であること
上告人は、この場で相続分差別を擁護するわけではありませんが、仮にこれらの最高裁判例憲法解釈に誤りがないとしても、本件とは無関係であることを強調したいと思います。
1)すなわち、相続分については、嫡出子と非嫡出子は、ひとつの相続財産を対象にして自己の相続分を主張して争う立場にあることから、両者の相続分を同じに扱うことにより嫡出子の立場に影響を及ぼします。これに対して、非嫡出子に国籍を付与することは、法律婚制度や嫡出子の権利に何ら影響を及ぼしません。
2)そもそも、日本国籍を認められたうえで民法上の嫡出子と異なる取扱いを受けることと、日本国籍を認められないことは、まったく次元の異なる問題で、前者の規定が法律婚の尊重その他の理由に基づいて正当化されるからといって、後者の取扱いについてそれが参照されるべき理由はありません。
(3) 参考されるべき立法例
以前、戸籍の父母との続柄欄において嫡出子は「長男」「長女」のように記載されましたが、非嫡出子は「男」「女」と記載されていました(平成16年法務省令76号による改正前の戸籍法施行規則33条および附録6号ひな形)。
ところが、東京地判平成16年3月2日判決(訟務月報51巻3号549頁)は、当時の続柄欄の記載は戸籍制度の目的との関連で必要性の程度を越えており、プライバシーを侵害しているとの判断を示したことをきっかけとして、戸籍法施行規則の一部を改正する省令(平成16年法務省令第76号)が制定され、2004(平成16)年11月1日から施行されました。
現在、嫡出でない子の出生の届出がされた場合は、戸籍の記載においては、子の父母との続柄は、父の認知の有無にかかわらず、母との関係のみにより認定し、母が分娩した嫡出でない子の出生の順により続柄欄に「長男(長女)」、「二男(二女)」等と記載されます。
この制度は、法律婚を尊重するとの目的と、なんらの矛盾を来たすことなく、プライバシーという法律上の利益を尊重することができることを示している点で、本件においても参考とされるべき立法例であると言えます。
3 上告人の答弁書に対する若干の反論
(1) 尊属殺違憲判決の理解
なお、被上告人は、尊属殺重罰規定に関する前掲最大判昭和48年4月4日について、当該判決が例外規定である尊属殺を違憲無効とし、原則である普通殺人の規定によったのは当然であるが、本件の場合、原則規定は帰化であるから、上告人は日本国籍を取得しないと主張しています。
しかしながら、憲法14条を論じている以上、重要であるのは、原則規定および例外規定というような形式論ではなく、不合理な差別における比較の対象が何であるのかという実質論です。前掲最大判昭和48年4月4日では、尊属殺人として量刑が死刑または無期懲役に限定される者と、普通殺人として3年以上の懲役の範囲内で刑に処される者との間の不合理な差別が問題となっており、本件では、現行法上帰化手続によらざるを得ない認知のみを受けた子と、届出による国籍取得が認められた準正子との間の不合理な差別が問題となっています。比較の対象とされているのは、届出による国籍取得が認められた準正子であって、帰化手続によるべき一般の外国人でありません。したがって、認知のみを受けた子が、不合理な差別を受けているのであれば、準正子と同様に届出による国籍取得が認められるべきは当然です。
(2) 偽装認知について
被上告人は、ドイツにおいて偽装認知が問題となっており、子の国籍取得や母の在留資格のみを目的とする認知を、官公庁が取り消すことを可能とする法案をドイツ政府が決議したと主張しています。
しかしながら、仮にそうした法案が今後制定されるとしても、それは認知のみを受けた子に対して法律上当然の国籍取得を認めたうえでの対処に過ぎません。
不正を行う者がいるからといって、真実の認知を受けた子が差別を甘受しなければならない理由にはなりません。そうした不正に対処が必要なら、別途の手当をする等の対応策を考えるのが本来の筋道です。被上告人の主張にかかるドイツの事例は、上告人の主張の根拠とはなっても、被上告人の主張を裏付けるものにはなりえません。

弁 論 要 旨

弁 護 士  近   藤   博   徳
弁 護 士  張       學   錬
弁 護 士  金       竜   介
弁 護 士  西   田   美   樹
弁 護 士  濱   野   泰   嘉
弁 護 士  細   田   は づ き
弁 護 士  山   口   元   一

上告人代理人らが口頭弁論期日において行う弁論の要旨は以下の通りです。


第1 問題の所在
1 1984年(昭和59年)改正前の国籍法においては、父系優先血統主義が採用されていました。そのため、日本人父の嫡出子及び胎児認知を受けた非嫡出子は出生により日本国籍を取得したのに対し、日本人母の子は、嫡出・非嫡出子を問わず原則として出生により日本国籍を取得することはなく、ただ父が知れない場合又は父が無国籍の場合に補充的に日本国籍を取得する、とされていました。
 しかし、1980(昭和55)年に日本政府が署名した女子差別撤廃条約は9条2項で「締約国は、子の国籍に関し、女子に対して男子と平等の権利を与える。」と定めており、政府は同条約を批准するために、国籍法の父系優先血統主義を見直す必要が生じました。そこで、国籍法は、1984(昭和59)年の法改正で父母両系血統主義を採用しました。すなわち、生来的な日本国籍の取得における日本人父の子と日本人母の子との間の不平等状態の解消が、1984年(昭和59年)国籍法改正の目的だったのです。
 この改正によって、日本人母の子は、嫡出・非嫡出を問わず、常に出生により日本国籍を取得することとなりました。しかし他方において、日本人父の子については、改正前と同様、嫡出子若しくは胎児認知を受けた者のみが出生により日本国籍を取得し、出生後に認知された嫡出子が出生を原因として日本国籍を取得することはできないままでした。
 つまり、日本人父の子と日本人母の子との間において、改正前とは逆転した不平等状態が発生したのです。

2 同じく日本人の親から生まれた子でありながら、その生来的な日本国籍の取得の可否に差異が生じることとなった原因は、国籍法が採用する血統主義の考え方にあります。生来的国籍取得における血統主義を「生物学的な血のつながり」ではなく「法律上の親子関係」と捉え、しかも国籍制度上は認知の効果は遡及しないとされた結果、子が生まれたまさにその時点での日本人親との法律上の親子関係の有無が生来的国籍取得の成否を分けることになりました。そして、日本人母の子と日本人父の子の間に、上述のような逆転した不平等状態が発生するに至ったのです。このように、日本人母の子と日本人父の子との間に生じる、生来的な国籍取得の可否についての差異は、国籍法2条1号が立脚する血統主義そのものに起因する、根本的かつ不可避的な問題であると言えます。

3 しかしながら、両性の平等の実現を目的として採用された父母両系血統主義がこのような新たな不均衡を生じさせることはいわば背理であり、1984年(昭和59年)の国籍法改正がその本旨とするところでなかったことは言うまでもありません。
 そもそも日本人父がその子を出生前に認知するか出生後に認知するかは、両親が子の出生前に婚姻するか出生後に婚姻するかと同様、偶然の事情に左右されることが少なくありません。特に胎児認知は今日その制度の存在がほとんど周知されておらず、日本人父が胎児認知制度を知っている方が希有と言っても過言ではありません。また、生まれてくる子の立場から見れば、父と母のいずれが日本人か、両親が結婚しているか否か、日本人父が胎児認知したか出生後の認知だったか、という事情はまさに偶然的なことです。
 国籍の有無は、国家から見れば国家の構成要素である国民の範囲を画する基準ですが、同時に今日の国民主権国家においては、生まれてくる子にとって国籍を有するか否かは、自分がその国で主権者として基本的人権の完全な保障の下に自己実現を達成できるか否かを左右する非常に重大な要素です。このような国籍の重大性に鑑みるとき、同じく日本人の親から生まれた子でありながら、上記のような偶然的な事情により国籍取得の可否に決定的な差異を生じさせることは、あまりにも均衡を欠くものと言わざるを得ません。また、このような不均衡をもたらすことは1984年(昭和59年)法改正が父母両系血統主義を採用することによって目指した方向と矛盾するものであることも前述の通りです。
 したがって、上記の不均衡を是正することが、父母両系血統主義の理念からも、また日本人の親から生まれた子の利益を守るという観点からも求められるのです。

4 1984年(昭和59年)法改正によって新設された法3条1項の届出による国籍取得制度は、このような父母両系血統主義に起因する不平等状態を解消するためのもの、と説明されました。しかしながら、父母両系血統主義の採用によって生じた不均衡の是正は、「日本人父の非嫡出子の国籍取得の機会を可能な限り日本人母の非嫡出子に近づける」という方向でなされるべきでした。しかるに、実際に定められた法3条1項はそのような制度にはなりませんでした。法3条1項の制度によって、日本人父の非嫡出子として出生した者のうち、準正が成立した子とそうでない非嫡出子との間に新たな不平等状態が発生することになったのです。

5 原判決は、法3条1項の立法趣旨について、「日本人父の子の出生が父母の婚姻前であるか後であるかによることのみによって国籍取得のあり方に違いが生ずることの不均衡をできるだけ是正することを目的として定められたもの」と判示しています(原判決19頁)。また、1984年(昭和59年)国籍法改正後に出版された、「法務省民事局内法務研究会編 改正国籍法・戸籍法の解説」において、当時の法務省民事局第2課長の細川清氏は、「新法三条の新設理由は、第一に、出生時に日本国民の嫡出子である子との均衡を図ることである。」と述べ、原判決の判示するところと概ね同一の理由を述べています。被上告人も、答弁書31頁において同様の立法趣旨をさらに詳細かつ明確に述べています。
 このように、法3条1項は、生来的な国籍取得が認められない日本人父の非嫡出子のうち事後的に嫡出性を取得した者をそれ以外の者と区別して簡易な手続による国籍取得を認める制度として創設されました。つまり、法3条1項の準正要件は、生来的に日本国籍を取得しない日本人父の非嫡出子として生まれた子のうち、準正子と準正の成立しない非嫡出子を伝来的な国籍取得の可否において別異に扱うことを企図し、あるいは別異の扱いがなされることを当然の結果として想定して設けられた要件なのです。

6 このように、父母両系血統主義の採用によって新たに生じた不均衡のすべてを是正するのではなく、その一部の者のみに対して国籍取得の機会を設け、それによって新たな差別的取り扱いを生じさせることになる法3条1項の準正要件には、直ちに合理的理由があるとは認められません。以下、このことを検討していきます。

第2 法3条1項の「嫡出性要件」は日本の国籍法制の下で特異なものであること
1 法3条1項は、日本人父の非嫡出子の中で、準正の成立即ち嫡出子たる身分の取得をメルクマールとして届出による国籍取得の可否を区別しています。このように、嫡出性の有無によって国籍取得の成否を決める、という制度は、日本の国籍法制下では前例のない、極めて特異なものです。

2(1) まず、現行の国籍法を見ると、法2条1号が子の嫡出性を要求していないことは争いのないところで、最高裁判所平成14年11月22日第2小法廷判決(裁判所時報1328号1頁)もこのような理解を当然の前提としています。また、国籍再取得に関する法17条も本人の嫡出性を要件としていないことに異論はありません。
(2) 次に過去の法制について見てみると、まず明治32年成立の旧国籍法1条及び昭和25年成立の改正前現行国籍法2条1号はいずれも父系優先血統主義を規定していましたが、その解釈としては現行法2条1号と同様、日本人父の法律上の子であれば嫡出・非嫡出に関わらず出生と同時に当然に日本国籍を取得するとされていました。他方、父系優先血統主義の結果、外国人父と日本人母の間の子は嫡出子であっても日本国籍を取得しないとされていました。
 また、旧法3条及び改正前現行法2条2号は「父が知れざる場合」「父が無国籍の場合」に補充的に母系血統による日本国籍の取得を認めていましたが、ここでも嫡出性は要件とされていませんでしたし、そもそも「父が知れざる場合」の多くは両親の婚姻はないものと解されることから、解釈上も子の嫡出性を要求しないことは当然の前提とされていました。
 なお、旧法5条3号は、「日本人たる父又は母に依りて認知せられたるとき」には日本国籍を取得する、と規定していましたが、現行法制定時にこの制度は廃止されました。しかしその理由は、子の意思に基づかないで自動的にその国籍を変更することは個人の尊厳の原則に反する、との考えに基づくものであって、非嫡出子の国籍取得を排除する趣旨からではありません。
(3) 帰化制度について見ると、帰化の可否は法務大臣の裁量的判断にゆだねる、とするのが旧法以来の一貫した制度ですが、制度上申請者の嫡出性が要件とされてたことはありませんし、また実際の運用上も申請者の嫡出性が要求されたことはありません。

3 このように、過去の法制においても、また現行法上も、現行法3条1項を除いては、子の嫡出性を要件とする国籍取得制度は存在しませんでしたし、嫡出性の有無が国籍の取得を左右するという考え方も存在しませんでした。現行法3条1項の準正要件は、日本の国籍法制上に根拠を求めることができない、非常に異質な要件なのです。

第3 国の立法裁量論の主張は誤りであること、及び法3条1項の準正要件には差別的取り扱いを許容する合理性が認められないこと
1 国の主張の概略
(1) 国は、憲法10条を根拠として、国籍の得喪に関する要件の鼎立は国の広範な立法裁量に委ねられており、国籍立法により差別が生じても、合理的な根拠に基づくものである限り憲法14条1項には抵触しないから、国籍立法について憲法14条1項違反の問題が生じる場面はきわめて限定的である、と主張しています。そして、この合理性の有無を判断する「合理性の基準」について、?立法目的が正当であり、?具体的な取扱い上の違いがこの目的の達成に合理的に関連していることをもって足り、違憲を主張する側がいかなる合理的根拠に基づいても当該差別は支持することができない旨を証明する責任を負う、としています。
(2) その上で、法3条1項が準正要件を設けたことの立法目的を、日本人父の子について、父母の婚姻が子の出生の前であるか後であるかによって、子の国籍に差異が生ずるという不均衡を是正することを目的とするものであるとし、さらに準正子は嫡出子たる身分を取得したことによって日本国民の家族関係に包摂され、我が国との密接な結合関係を有することが明らかとなったと考えられるから、その者の意思に基づき日本国籍を付与することが適当である、としました。そしてかかる考え方は国籍法制に関する立法政策として合理性を有し、立法裁量の範囲を逸脱するものではないから、憲法14条1項に反しない、としています。
(3) しかしながら、国のこの主張は憲法解釈上も、また合理性の判断の点においても誤りがあります。

2 憲法10条は立法府に特別に広範な裁量権を付与したものではない
 国は、憲法10条が国籍立法に関し立法府に特別に広範な裁量権を付与したものであるとして、答弁書25頁以下で縷々主張しています。しかしながら、憲法10条が、立法府に対し、国籍立法をするにあたって、我が国の歴史事情、伝統、環境等様々な要因を総合的に考慮して合理的に定めることをゆだねたということと、国籍立法について、立法府に広範な裁量があるということとは、まったく別個の問題です。したがって、立法府に「様々な要因を総合的に考慮して合理的に定めることをゆだねた」ことから、「広範な裁量がある」という結論が必然的に導かれるわけではありません。
 国会の立法行為は全て憲法の制限、特に憲法13条以下の基本的人権保障規定に基づく制限の下にあるのであり、「日本国民たる要件を定める法律」すなわち国籍立法も例外ではありません。憲法10条あるいはそのほかの憲法上の条文を精査しても、国籍立法にあたって立法府に他の一般の立法行為に比べて特別に広範な立法裁量が認められているとする根拠規定は存在しないし、そのような解釈も存在しません。また、国が指摘する「国籍の得喪に関する基準を定めるにあたって様々な事情を総合考慮しなければならない」という事情は、国籍法に特殊固有の問題ではなく、およそ全ての立法行為に共通の事情であって、そうであるからこそ立法裁量というものが一般的に認められているのですから、ことさらに国籍立法についてのみこれを強調し、他の立法行為に比し格段に広範な立法裁量が認められているとする国の主張は、何ら憲法上の根拠に基づかないものです。
 国は、その主張の根拠として最高裁判所平成14年11月22日第二小法廷判決を挙げますが、この判決は国籍立法にあたり諸事情を考慮しなければならないことは指摘しているものの、だから広範な立法裁量が認められているとは一言も述べていません。国の引用は誤りです。

3 国籍立法はむしろ平等原則違反を厳格に審査されるべきである
 国籍は、主権者たる地位を基礎付けるものであり、日本における居住の権利にはじまり、あらゆる公的サービスを享受する権利、その他これに付随する多くの便益、場合によっては義務の発生根拠となるものであり、個人にとって極めて重大な利害のかかわる事項です。
 ことに、主権者は政治的意思決定に直接かつ平等に参画できる地位を有していますから、いかなる者に日本国籍を付与するかという点に差別や歪みがあれば、日本の政治過程に根本的な歪みを生じさせ、結果として政治的にその歪みの回復困難な状況を出来することになることは自明です。また、当該個人の主観的利益の観点からも、主権者から排除されるという人権問題として看過しがたいものであることはいうまでもありません。
 これらの点に鑑みれば、国籍立法においては、通常の立法行為よりもむしろ平等原則が厳格に適用され、差別的取り扱いをする場合にはその合理性は厳格な基準によって審査されるべきであるとすら言えるのであって、単に合理性の基準をクリアすれば足りるとする国の主張は誤りであると言うほかありません。国の主張には、国籍付与がその者にとって極めて重大な利害の関わる事項であること、また国籍を付与する者の範囲を確定することが民主的政治過程の根幹に直積的にかかわる問題であることの認識や考慮が根本から欠落しているものと言わざるを得ません。

4 国の主張する立法目的には合理的な根拠がない
(1) 国が主張する、父母の婚姻が子の出生の前か後かということによる国籍付与面での取扱いの不均衡の是正という立法目的は、一見すると何ら問題がないように見えます。しかしながらこの立法目的は、同時に、あるいはその手段選択の段階で、準正子と非嫡出子との間に取扱いの差異を設けることを意味しています。つまり「父母の婚姻が子の出生の前か後かということによる国籍付与面での取扱いの不均衡の是正」と「準正子と非嫡出子との間に取扱いの差異を設けること」は分離不可能な立法目的の両面、あるいはコインの裏表のような関係にあるのです。
 このような場合に、国が主張するように、分離不可能な2つの側面のうち一面のみを取り上げてその合理性が裏付けられれば立法目的が正当であるとしたり、合理的に関連する手段を選択すれば憲法上問題ないと結論付けることは、憲法14条に照らして許されないものです。こうした考え方を合理性の基準と呼ぶべきか、はたまた厳格な合理性の基準と呼ぶべきかは重要な問題ではなく、むしろ立法目的の合理性あるいは手段の関連性の判定ないしあてはめの問題であるというべきです。
 これを一般化して言うならば、一定の立法目的の設定、またはその立法目的達成のための手段選択が他の人権侵害ないしは憲法上の原則違反をもたらす場合には、その立法目的が正当であるとは言えない、あるいは、その手段選択が憲法違反となるというべきです。
(2) また、そもそも国が主張する「父母の婚姻が子の出生の前か後かということによる国籍付与面での取扱いの不均衡の是正」という立法目的自体にも合理性があるとはいえません。子の出生の前に父母が婚姻した場合に子に生来的な国籍取得が認められるのは、子が嫡出性を有するからではなく、子の出生時に日本人父との間の法律上の親子関係が成立しているからです。先にも述べた通り、日本の国籍法制の中で嫡出性を国籍付与の要件としたことも、その判断の重要な要素としたこともなく、嫡出性は国籍付与の可否を決するに当たっての指標とされたことはありません。にもかかわらず、唐突に嫡出性を指標として国籍取得の可否についての不均衡を論じるのは、立法目的の鼎立の仕方として恣意的であり、合理的な根拠を有するものとは言えません。

5 差別的取り扱いが許容されるとする国の主張には合理的な根拠がない
(1) 国は、法3条1項によって結果として準正子と非嫡出子との間に日本国籍取得の可否について差異を生じさせることについて、準正子が嫡出でない子に比べ法制度上も社会実態及び国民感情の上でも日本国民である父との間の親子関係が制度的類型的により密接となり、日本との結合関係もより強くなったものと考えられるから、この結合関係に注目し、準正子のみに対し届出による国籍取得を認めることには合理性があるとしています。しかしこの主張は正しくありません。
(2) 国は、準正の成立によって日本国民である父との結合関係が類型的に密接になるとする根拠として、生活の一体化が類型的に認められることを挙げます。しかし、準正の成立すなわち嫡出子という法的身分の取得と、生活の一体化すなわち同居生活という事実状態とは論理必然的に一致ないし連動するものではありませんから、国のこの主張は論理的な根拠を欠くものです。
 また、実際上も、嫡出子が一般的に両親と同居生活をしているとか、逆に非嫡出子は一般的に両親との同居が認められない、などといった社会実態を示す資料は存在しません。国が主張する立法理由は、これを基礎づける立法事実が存在しない、少なくとも存在することが確認されていないのです。なお、国は答弁書において、日本における非嫡出子の割合が外国に比べて少ないことを指摘していますが、だからといってこれらの者を国籍取得の機会から排除してもよい、という結論が導かれるわけではありません。「非嫡出子は少数だから主権者たる地位を与えなくても重大な影響はない」とでも言うかのような国の主張は、少数者を少数者であることの故に差別することを是認するものであって、到底許されるものではありません。
 さらに、両親がいったん婚姻し、その後離婚し日本人父と別居した後に強制認知若しくは死後認知を得た場合も準正は成立しますから、準正により日本人父との生活の一体化が生じるとの国の主張は制度上の根拠もありません。ちなみにこのような事例であっても法3条1項による国籍取得は認められており、法3条1項がすでに「日本人父との生活の一体化」という立法理由から乖離していることが明らかです。
(3) 国は、準正の成立によって日本人父との結びつきが制度的類型的に密接になる、とも主張しています。けれども、嫡出親子関係の成立を原因とする法律上の効果の発生は全て民法をはじめとした個々の法律の条文の規定に基づくのであって、これらの規定を離れ嫡出親子関係の成立によって演繹的かつ当然に何らかの法的効果が発生するわけではありません。
 国はまた法律婚尊重主義についても指摘していますが、これも民法の諸規定が存在することの結果として言われるものであって、法律婚尊重主義という考え方から法律上当然に何らかの効果が発生するわけではありません。しかも法律婚尊重主義はそれとして評価しながらも、非嫡出子を差別的に取り扱うことへの疑問が近年さらに強くなっていることは、すでにこの訴訟で詳しく指摘している通りです。したがって、嫡出親子関係あるいは法律婚尊重主義を根拠に、国籍の付与という重大な点について差別的取り扱いを設けることに合理的な根拠があるとは到底言えません。
(4) 国は、準正が成立することによって「日本人父の家族関係に包摂される」と主張します。この「包摂」が国の主張のキーワードのようですが、その意味する内容が全く不明であることは、すでに指摘したとおりです。このキーワードに象徴されるように、国が主張する法3条1項の合理性の根拠は、非常に曖昧漠然としていて、感覚的なものにすぎません。国籍の得喪という、個人の利益にとっても民主制の過程にとってもきわめて重大な問題を、このような感覚的な根拠で決定することは到底許容し得ないものと言わざるを得ません。

第4 法3条1項の準正要件のみを違憲無効とすることの可否について
1 国は、法3条1項のうち準正要件のみが違憲無効となった場合には、国籍法が予定しない新たな制度を創設することになり、実質的な立法作用にあたるから、三権分立を害し許されない、と主張します。他方で、国は控訴審において「本件は、国民の権利自由を規制する法律の一部無効が問題となっているのではなく、立法によって初めて付与される権利の根拠規定の合憲性が問題となっているのである。」とも述べています(控訴審準備書面(1)18頁乃至19頁)。これらの主張から、国は、いわゆる自由権制限規定の一部を違憲無効とすることに問題はないが、いわゆる権利付与規定については一部違憲無効と判断することは許されない、と主張するものと理解されます。

2 しかし、かかる原判決の判示及び国の主張は以下の点で誤っています。
(1) まず第1に、違憲審査制度は違憲判断の対象として自由権制限規定と権利付与規定とを区別していません。憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令規則又は処分が憲法に適合するか否かを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定められ、その文言上、法律の規定の一部や要件の一部について違憲判断をすることが禁止され、あるいは制限されるとは定められていません。学説上も、「法律が定める要件の一部のみを違憲無効と判断することは違憲立法審査権の限界を逸脱するものであり許されない」とする憲法解釈は存在しません。論理的に考えても、法律の一つの条項全体を違憲無効とすることが可能であるのに、その一部分を違憲無効とすることができない、との解釈はあり得ないというべきです。
(2) 第2に、自由権制限規定であってもその要件の一部を違憲無効とすることは新たな制度の創設になります。およそ裁判所がある法令を違憲と判断した場合には、それが立法府の判断と衝突することは違憲審査権の宿命です。自由権制限規定に対する違憲判断であっても、立法府が予定しなかった新たな制度を創設することになることは、例えば、最高裁昭和50年4月30日大法廷判決(民集29巻4号572頁)、いわゆる薬事法距離制限違憲判決によって、「距離制限のない自由な薬局の開設許可制度」という、薬事法が予定していなかった制度が創設されることを見ても明らかです。したがって、一部違憲無効の判断が当然に立法権の侵害となるから許されない、との主張は短絡的なものであって正しくありません。要は、その要件を違憲無効とすることが、立法府の判断を実質的に侵害することになるかを、個別法令及び問題となった要件に応じ個々に判断していく必要があるものというべきです。
 国は、「法3条1項の立法目的は、日本国民である父と外国人母の婚姻後に出生した子とその婚姻前に出生した子との間に生じる不均衡の是正にあり、日本国民である父が認知した外国人母の子一般に対し、届出による国籍取得を認めることは想定していなかった」と主張しています。しかしながら既に述べたように、国が主張する立法目的と「準正子とそうでない非嫡出子との間の差別的取り扱い」とは論理的に不可分の関係あるいは裏腹の関係にあるのであって、このような立法目的自体に合理性が認められないのですから、「法3条1項の立法目的にそぐわない」との反論は的はずれというべきです。また、国はいわゆる「可分性の理論」によっても法3条1項のうち準正要件のみを違憲無効とすることは許されない、とも主張しますが、「可分性の理論」も立法目的に合理性があることを前提とした考え方であって、合理性を欠く立法目的を前提に「もしも違憲的な部分が除去されてしまえば残存部分では立法目的を達成できないかどうか」を議論することは無意味というべきです。
(3) 第3に、自由権制限規定が憲法14条1項に違反している場合には、当該制限規定ののうち一部の者の自由権の制限をもたらす要件を違憲無効とすれば足りますが、権利付与規定が一部の者のみに権利付与し、憲法14条1項違反の状態を作出している場合は、当該規定全体を違憲無効としても不利益を受けている者への権利付与は実現せず、当該規定において差別を生じさせている要件のみを違憲無効とする以外に、差別的取り扱いを解消し権利を享受する方法はありません。しかるに、国が主張するように要件の一部を違憲無効とすることが違憲立法審査権の限界を逸脱し許されないならば、権利付与規定における憲法14条1項違反を司法権が是正することはおよそ不可能となります。
 このことは法3条1項においても明らかです。日本人父の非嫡出子のうち準正が成立した者についてのみ日本国籍の取得を認める制度が憲法14条1項違反であることが明らかであったとして、本件上告人らがこの不平等状態を解消するために、法3条1項全体を違憲無効と主張しても、それによって上告人らが日本国籍を取得することは不可能ですし、そもそも訴えの利益がないとして訴訟自体が却下されてしまいます。したがって、上告人らがこの不平等の解消を求めて訴訟で争うためには、上告人らにも国籍を認めるべきである、と主張するほかなく、そのためには法3条1項の要件のうち準正子とそうでない非嫡出子との間の不平等扱いを生じさせている準正要件を違憲無効と主張する以外に方法はありません。しかるに、法3条1項のうち準正要件のみを違憲無効とすることが許されないとするならば、結局憲法14条1項に基づいて権利救済を求めることはおよそ不可能となります。そして、法3条1項の準正要件によって上告人らが国籍を取得するみちを封じられているために、主権者でない上告人らが民主的な政治課程に訴えてその権利を実現するみちも封じられています。
 憲法が裁判所に違憲立法審査権を付与した目的は、個人や少数者が政治社会過程から排除されることのないよう裁判所が配慮し、立憲民主主義過程の維持保全に積極的に寄与することを期待したものです。国籍の有無は主権者としての地位に関わるものであるばかりでなく、日本国籍を有しない者は代表民主制下においてその政治的意見を立法過程に反映させることも不可能であり、日本の政治社会過程から制度的に排除されているのですから、民主制の過程を通じて不平等を是正させることも原理的に不可能です。国籍の付与に関する不平等の救済は、裁判所における違憲立法審査権の行使によってしかなしえないのです。国の主張は権利付与規定について憲法14条1項の裁判規範性を否定し、違憲立法審査権の役割を否定するものであって、到底容認できないものというべきです。

3 先に、一部違憲無効が許されるか否かは、その要件を違憲無効とすることが、立法府の判断を実質的に侵害することになるかを、個別法令及び問題となった要件に応じ個々に判断していく必要があるものというべきである、と論じました。その際に用いられるべき指標として、「1,人の権利保障のために裁判所が条理を以て解釈をすることが期待される場面であって、2,仮に立法によって是正するとしても立法政策上選択肢がないかあるいは選択肢の間に大きな差異がなく、かつ、3,裁判所の判断によって当該制度がその本質を改変させられることがない」の3点があげられます。そこでこれらの指標に基づいて、法3条1項の「父母の婚姻」及び「嫡出子たる身分」の取得の各要件を一部無効とすることの許否について検討します。
 まず第1の点について、準正子と準正の成立しない非嫡出子の間の国籍取得に関する差別取扱いを是正するには、上述の通り法3条1項の『父母の婚姻』及び『嫡出子たる身分』の取得の要件を一部無効とする以外に方法がなく、裁判所による積極的な違憲判断が求められる場面です。次に第2の点について、立法によって準正子と非嫡出子の間の不均衡を是正するとしても、現行の法3条1項によって国籍取得が認められる者の利益を損ねない形で新たな制度を作るならば、新たな要件を設けることはできず、結局「日本人父から認知を受けた子は届出により日本国籍を取得する」という制度しか考えられません。第3の点について、1984年(昭和59年)法改正によって父母両系血統主義を採用した趣旨や、その結果生じた不均衡状態の是正を目指すという法3条1項の方向性に鑑み、法3条1項の準正要件を違憲無効とすることによって1984年改正が目指した「男女平等原則の徹底」の趣旨をよりよく実現するものといえます。したがって、法3条1項の準正要件のみを違憲無効とする判断は、裁判所の違憲立法審査権の適正な行使として許容されるものです。

第5 日本国籍の取得が認められないことによる不利益・不都合
1 ここまで法3条1項の準正要件の憲法14条1項違反の有無及び一部違憲無効判断の是非について論じてきましたが、裁判官のみなさんに、是非認識しておいていただきたいことがあります。それは、日本人父の非嫡出子である、本件上告事件の上告人たちに日本国籍が認められないということが、どのようなことを意味するのか、どのような不利益があるのか、ということです。「父母の婚姻」という一事だけで、上告人たちに対しどれだけの不利益が課されるかを具体的に知っていただきたいと考えています。これまで各所で個別に指摘してきたこともありますが、改めてまとめて論じたいと思います。

2(1) まず、日本国籍を有しないということは、すなわち、日本国の主権者たる地位を認められないということです。この点で、日本人父の準正子と非嫡出子との間にはその法的地位に関し決定的に重大な差異が存在します。
 また、主権者たる地位を有しない日本人父の非嫡出子は参政権も有せず、日本国の政治過程に選挙を通じて参加する機会もありません。これもまた法的には極めて大きな不利益です。
(2) また、日本人父の非嫡出子に日本国籍を与えられないときは、憲法が定める基本的人権の保障を完全には享受し得ないことになります。
 上告人ジュリアン・チットゥムを例に挙げて述べると、彼女は日本で生まれ育ち、日本の小学校、中学校と通い、日本語しか話すことができません。彼女は、多くの日本人の友人とともに学び、遊び、笑い、悲しみ、成長してきました。そして、中学生となり将来の職業を真剣に考える年齢になりました。彼女は、原審東京高等裁判所の第1回口頭弁論期日において、「一生懸命勉強して、裁判官になりたい。裁判官は人々の正義のために、人々の平等のために、働いています。すばらしい仕事です。」と意見陳述をしました。しかし、現行法は「私は裁判官になれますか?」というジュリアンの問いに「はい。」と答えることはできません。
 このような公職就任の制限のほか、表現活動の実質的な制限、出入国及び日本在住に対する制限、職業選択及び事業活動等の制限、財産権の制限など、日本国籍を有しない者は日本で人生を全うする上で様々な制限を受けます。
 さらに、最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決(民集32巻7号1223頁)、いわゆるマクリーン事件最高裁判決によれば、外国人に対する憲法基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎず、外国人の在留の許否は国の広範な裁量に委ねられています。日本国籍を有しない者は、日本に在住するという生活の基盤の部分すら権利として確保されていないのです。
(3) さらに、日本人父の非嫡出子に日本国籍を与えられないときは、社会生活の中でも様々な差別を受けることになります。
 例えば、就学における差別、就職における差別、住まいの賃貸借契約など居住に関する差別、結婚における差別、事業経営など経済活動における差別など、枚挙にいとまがありません。本件上告人の多くは、学校では日本人である父親の姓を通称として名乗っています。これは子ども達がいじめや差別に遭わないようにという教育的配慮に基づくのであって、それ自体何ら非難されるべきことではありませんが、いずれ彼らが成長し高校・大学と進み、あるいは就職をするに至ったときには、否応なく本名である母の姓を名乗らざるを得ません。そのときに彼らがさらされるかも知れない有形無形の差別は想像するに余りあります。

3 このように、日本国籍取得の成否は、その者が日本で生活をしていくに当たって重大な影響を及ぼすものであり、日本人父の非嫡出子には重大な不利益となります。このような重大な不利益を甘受してもなお差別的取扱いをすべき必要性と許容性は、果たしてあるのでしょうか。
 上告人マサミ・タピルには、同じ父親と母親から生まれた5歳下の妹がいます。妹は、父から胎児認知を受けたため、日本国籍です。しかし、マサミは出生後認知のため日本国籍は認められていません。もし将来海外に旅行に行くことになったとき、妹は日本のパスポートを持ち、多くの国に査証なしで入国することができますが、マサミはいちいち査証を取得しなければなりません。そればかりか、日本を出国する前にマサミは再入国許可を得ておかないと日本に入れなくなってしまい、日本に「帰国」する際にも上陸許可の審査を受け指紋を押捺しなければなりません。マサミは、原審東京高等裁判所の第1回口頭弁論期日において、「学校で『外国人、外国人』と言われるとき、とてもつらい。みんなと同じになりたい。妹と同じ国籍になりたい」と意見陳述をしました。彼女が重大な不利益を受けるべき、合理的な理由は到底見いだすことができません。

4 上告人らに共通の問題として、アイデンティティの喪失の危機があります。「アイデンティティ」という概念をどのように説明したらよいか難しいところですが、ここにある小説の一節を引用します。
 「異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。」
 私たち、日本で生まれ育った日本人は、同じ日本人と接している限り、日本人であることのアイデンティティの確認を強いられることはありません。本件上告人達も、自分が日本人であると信じて疑っていませんでした。しかし、彼らは、まだ幼いにもかかわらず、生まれ育った環境全てから「お前は私たちとは違う」と通告されてしまったのです。彼らは自分たちが周囲と異質なものではないと思っていたのに、周囲からは異質なものだと宣告されてしまいました。しかし彼らにとって自己を自己たらしめるものは日本とのつながりしかありません。人間の本能的な欲求である、自己保全、自己肯定としてのアイデンティティを守ることは、憲法の保障する個人の尊厳の実現にとって最も重要なことの一つであると考えます。
 上告人ジュリアン・チットゥムは、その意見陳述書の中で、「私は怖いんです。私が日本人ではなくフィリピン人だと友だちが知ったとき、私のもとを去ってしまうのではないかと考えてしまうんです。私は大好きな友だちを失いたくないんです。私がフィリピン国籍だと周りが知った時、それに対する周りの声、目線が怖いんです。私がどう思われているのか、何を思われているのか、何か言われてないのか、など些細なことが気になってしまうんです。「樹梨杏は日本人じゃない」。そう言われるたびに心が痛みます。」と述べています。ジュリアンが持つ、フィリピン人であると指摘されることに対する恐怖は、フィリピンに対する嫌悪感や敵意ではありません。日本とのつながりを拒否されることへの恐怖感と理解すべきです。
 裁判官には、このような子どもたちの切実な声に耳を傾けていただき、正義にかなった判決をなされることを切に希望致します。
以 上