口頭弁論(その4)

7月15日の「国籍確認訴訟」、4人目の陳述です。
オリヴィア・サルヴォ・ロサーノの陳述書
私はオリビア・サルボ・ロサノと申します。年齢は35歳のフィリピン人です。リュウイチ・サルボ・ロサノという8歳になる息子と一緒に、私は13年間日本に暮らしています。息子は館山小学校の2年生になりました。

私は息子の認知を求めて裁判を起こし、勝訴することが出来ました。そのため、私はてっきり息子の父親はもう私たちとは関わりたくないだろうと思っていました。しかし、息子が幼稚園に入学前に父親は電話をしてきて、どんな様子かとたずねてきたのです。それを機に、息子は父親のことを知りました。そして、毎日、父親は仕事を終えて自分の自宅に帰宅前に、私たちの家に寄り、息子の学校の勉強を見てくれたり、宿題を教えてくれたりします。そして、ときどき、息子と父親は一緒に遊びに出かけています。

息子は父親と一緒にいるときはとても嬉しそうです。二人は長い時間一緒にいることが出来ないので、父と一緒にいるとき息子は父の側から離れようとしません。

息子には幸せであって欲しいのです。しかしながら、息子はフィリピン人だということで学校でいじめにあっているのです。息子にはフィリピン人だということがよく理解できません。なぜなら、自分の父親は日本人ですし、そして、また自分は日本で生まれたからなのです。そして、息子の血は半分日本人なのです。息子は自分の言葉は日本語だけだと思っており、日本で成長し、日本で仕事をして、日本で自分の家族を持つと思っています。それなのに、息子が一人の日本人だと認めてもらえず、日本国籍を得る権利を拒否されたとしたら、どうすればよいのでしょうか。

日本の政府だけでなく、日本国民の方々も、家族の問題に対して神経質になっているのを知っています。しかし、どうか、私の息子のように、ここ日本で生まれ育っている子どもたちがいること、そしてこうした子どもたちの将来について関心を寄せてください。私たちは子どもたちの親として、子どもたちによい将来を与えたいのです。どうか、子どもたちを失望させないで下さいますようお願いいたします。

ありがとうございました。

オリヴィア・サルヴォ・ロサーノ