国籍確認訴訟原告団が来日、意見陳述しました!

国籍確認訴訟の原告22名のうちセブ・ネグロス地方の原告から父子1組(2名)、父1名、マニラ・マリガヤハウスの原告から母子1組(2名)、成人した原告2名、未成年1名の来日が実現しました! 12月21日にデルタ航空で来日し、そして、12月22日(水)1時半から東京地方裁判所705号法廷で意見陳述を行ない、23日(木)に観光をして帰国、という駆け足でしたが、とても中身の濃い充実した滞在になりました。来日にあたり、ご寄付を下さいました皆様方に心より感謝したいと思います。ありがとうございました!!

ボランティアの原めぐみさんが書いてくださった滞在記を以下に添付します。

12月21日

5人(ジェームス・スミダ、ユリコ・クニマサ、ナリコ・ゴキタ、ユキ・タナカ、アメリア・タナカ)は21日の午後、成田空港に到着しました。ユリコとナリコは一度だけ日本を訪れたことがありますが、他の三人にとっては生まれて初めての日本滞在でした。

成田の到着ロビーには、ナリコのお父さんが駆けつけてくれました。数年ぶりに父と再会することができ、笑顔いっぱいのナリコでしたが、お父さんと別れた後、ナリコの目からは涙がこぼれていました。父が私から離れていってしまったのは、私のことが嫌いになったからではないか、という不安をずっと抱えていたそうです。でも父はこうして遠くから私に会いに来てくれた、私がキティちゃんを好きなことを覚えていてくれて、キティちゃんのプレゼントまで渡してくれた。父の愛を実感することができ、安堵の気持ちが溢れたのでしょう。それを見て、他のJFCたちは羨ましくなって、黙ってしまい、少しセンチメンタルな始まりでした。

その後は原告団の代表として、多忙なスケジュールをこなしました。

成田から新宿まで電車で向かい、西新宿の事務所を訪問。みんなが大好きなマリガヤハウスの尚子さんと合流し、みんな少しリラックスした表情でした。その後、弁護士事務所へ移動し、先生方と意見陳述の打ち合わせを開始。一緒に法廷に立つ仲間とともに、陳述文を読み直し、最終確認をしました。

夕食をとり、ホテルに到着したのは夜の8時。それから次の日の大イベントに向け陳述文音読の特訓を行ないました。時間を計り、自分の書いた文章を読み込む姿に、原告団の代表として日本に来ているという彼らの自覚と責任感が伝わってきました。

ホテルはルーテル市ヶ谷にお世話になりました。お風呂が共同だったため、みんなびっくりしていました。私は湯船が初めてというユキちゃんと一緒に入湯しました。最初は熱い水がシャワーから出てくるということにもビックリしていたユキちゃんでしたが、だんだんとは湯船の魅力にはまりだし、結果的に手がしわくちゃになるまで浸かって楽しんでいました。

12月22日

いよいよ意見陳述の当日となりました。集合は11時、裁判は1時からと、午前中は時間に余裕があったため市ヶ谷から四谷まで散歩しながら行きました。みんなフィリピンと日本の違いについて気づいたことを口々に言い、新しく見るものすべてにカメラを向けていました。

11時に東京地裁に着き、他の原告の方々とおちあい、裁判所の地下の食堂で昼食をとりました。弁護士会館で休憩した後、法廷に向かいました。今回陳述をしたのは、マリガヤハウスのクライアントである4人を含め8名でした。セブ出身のミチリンさんとミノリちゃん、ジュリアンちゃんのお父さんの大野さん、日本で暮らすマサミ君も裁判に臨みました。また、前日に引き続きボランティアの木村さん、今津さんも付き添ってくれました。

1時30分ぴったりに始まった意見陳述で、8人の原告は、自分たちがなぜ日本国籍を取得したいのか、どのような想いで原告となったのかを一人一人堂々と裁判官に訴えることができました。

陳述書の一部を紹介します。

私の名前はユリコ・ディパスピル・クニマサ、21歳です。私は母の国であるフィリピンで生まれ育ちました。

私が日本国籍を失ったことを初めて知ったのがいつなのかは正確には思い出せません。私が小さかった頃、私の父は日本人だけれども、私は日本国籍ではないと言われました。私はフィリピン人です。その頃は国籍とは何かを知らなかったため、私にとって問題はありませんでした。

私が成長していく中で、私はクラスメートからなぜ私は日本人ではなくフィリピン人なのかとよく聞かれました。そんな時、私はとまどい、とてもつらかったのです。私は友人たちから、私の父親はどこにいるのか、どうして私は日本にいかないのか、どうして私は日本の習慣を家で行わないのか、などと聞かれたのです。

私は婚外子で望まれずに生まれてきた子どもだと思われたため、フィリピン人としても見下され差別を受けました。例え私の父が私と母を捨てたことが本当だとしても、私が差別されたのは、他の理由からでした。でも、私の母は私を差別から守ってくれました。私たちは経済的にゆとりがあるとういうことを見せるため、母は一生懸命に働きました。母はとても忙しく、そのために、私は母と一緒にいるための時間をたくさん失ってしまいました。そして、母は働きすぎがたたってしまい病気になってしまいました。

現在、私は看護師として働いています。21歳で大学を卒業し、国家試験に合格し、安定した仕事を得ました。また、私にはこの先にたくさんの仕事の機会があると思います。もし日本国籍を取得できれば、私は日本の習慣や遺跡を学ぶために日本を見て回りたいと思っています。私のもうひとつのアイデンティティを確認するために、私はそうしたいのです。私が置かれている全ての偏見から解放される事。それが私の最大の夢です。
(ユリコ・ディパスピル・クニマサ)

僕はジェイムス アンへロ A.スミダ、16歳、日本人とフィリピン人を両親に持つ子どもの一人です。ですが、僕の意思ではないのに、日本国籍が無くなってしまったため、今はフィリピン国籍です。私の母は日本国籍法のルールや必要条件について知らなかったのです。

国籍喪失は、僕の全ての幸せを失うこと、人生の約半分を失ったことを意味します。なぜならば、日本国籍なしでは僕の夢は満たされないからです。

僕はいつの日かパイロットになる夢を持っています。僕は現在ビザ無しでは日本に行くことができませんが、もし僕がパイロットになれば、日本に入国するためのビザを取得する必要がなく、何時でも日本に行き父親とコミュニケーションを取ることができます。僕は父親に会うためにいつでも日本に行く事ができます。

僕がまだ幼い時、僕は日本の伝統、習慣、言葉を学ぶたくさんの機会を失いました。もし、僕が日本国籍を失っていなければ、自分自身に後悔することはありませんでした。なぜならば、時々他の人達から差別を受けるからです。この問題は僕をとても傷つけます。クラスメートは僕が日本人なのか、どうしてフィリピンに住んでいるのか尋ねます。しかし、僕はこの問題に対して強くならなければなりません。

日本人とフィリピン人との婚内子としての僕の状況を理解して下さい。国籍を喪失した者として、僕たちは戦うために法廷の前にいます。全ての日本人とフィリピン人との婚内子の代表として、僕たちは、日本政府が日本の国籍法を改正することを要求します。僕たちが勝つことを願っています。
(ジェームス・アンヘロ・スミダ)

こんにちわ。私はタナカ・ユキです。私は8歳です。私の父親は日本人、そして母親はフィリピン人です。私はJapanese-Filipino Childrenであることを誇りに思います。しかし残念なことに、私が生まれた時に父親が行方不明だったため、私は日本国籍を失ってしまいました。

私は心からお願いがあります、私の日本人としてのアイデンティティを得るため助けてください。

私の一番の夢は、日本の教師になることです。私はフィリピン語や日本語を教えることで他のJapanese-Filipino Childrenを助けたいです。もし私が日本国籍を取得できれば、将来成功することができると信じています。

どうも、ありがとうございます。(ユキ・タナカ)

私は二つの国の間に立っているようで、どちらが私の本当の国籍なのか分からないのです。私はフィリピンで生まれて育ったので社会では、私はフィリピン人だという事が分かります。しかし、個人的に、何かが不足している感じがあります。私の血管で日本人の血が流れているので、自分のルーツに戻って行きたいような感じあります。

子どもの時に、私の父は私と姉を日本に連れて行きました。外国ということだけではなく、私の父の故郷だったので嬉しかったです。私はあの場所が私の故郷になるのだと思いました。でも、時間が経ち、なぜか分かりませんが父は私から段々離れていきました。その頃は、彼は一ヶ月に二回に私達を訪ね、そうして、一ヶ月に一回になり、そうして、時々一週間しか訪ねない事になり、そうして、彼の訪問がなくなり、滅多に私達に電話をしてこなくなりました。彼は私にたくさん愛情をくれたので、私は彼の一番好きな娘だと思いました。彼は愛情深い父でした。

何年か経ち、私は彼から全く連絡がないことになれました。私が高校と大学を卒業した時、彼は私に連絡もせず、尋ねてもくれませんでした。それでも、時々、特に祝日の時に、家族みんながお祝いをするために集まる度、私は寂しくなります。私と父が一緒に祝日を祝えることを願っています。私は父がいなかったので父のような男性を探していました。本当は父の愛は代わりがない事を、私は心の中で分かっています。私は私の父の愛に憧れています。私と姉は父からの愛がもらえるように、日本人として私の権利のために戦っています。

私は日本の国籍を取得をし父に会おうと、たくさんの苦労をしました。この裁判に行くために仕事を辞め、一年間以上待ちました。今、私はあなたの前に立ち、日本人として私達の権利を請求しています。私と同じ思いをして日本国籍を取得したいJFC達がたくさんいます。もし、私達があなたの国の一員になれるのであれば、あなたの国から私たちの国になります。それが日本なのです。(ナリコ・ゴキタ)

私はツネタ デラ パズ マサミです。
両親が無知だったために、私は日本人になる権利を失ってしまいました。
私はフィリピンで生まれ育ち、教育を受けてきました。私には常田竜二という兄がいて、兄には日本国籍があります。なぜなら、兄が生まれた時、私の両親は結婚していなかったのですが、父は、兄を認知してくれたからです。
私がここに日本に入国できたのは、兄に呼び寄せてもらい、短期滞在の観光ビザを取得できたからです。日本に来てから、私たちは書類を揃え、千葉の入国管理局にて在留資格の変更申請を申請し、その後、千葉の法務局に行きました。入管では私が日本人の子であるにもかかわらず、日本人の配偶者等の在留資格への変更は許可されず、出国準備期間のビザしかもらえませんでした。その後、法務局へ行った時には、国籍を与えることはできないと言われてしまいました。それは、私の住所は日本にないからだという理由でした。
私と兄は国籍再取得の申請が不受理だったことに傷つきました。その後、品川へ行き在留資格の変更申請を再度しました。すると、3年のビザが与えられました。
日本に住みたい理由は、私が日本人の子だからです。外国の人でも、日本に居住しているのに、なぜ私は日本人の子どもであり、兄は日本国籍があるのに、私にはそれが許されないのでしょうか。
もし、日本国籍が認められたら、一番初めにしたいことは、勉強をして日本語の会話や読み書きができるようになりたいです。
私には国籍がなく、兄には日本国籍があり、兄をうらやましく思います。私は父親の本当の子であり、兄の実の弟です。日本国籍を取得する権利を私に与えて下さいますようお願いします。
日本人になりたいという私の願いをどうか叶えて下さい。
ありがとうございました。(マサミ・ツネタ)

裁判は1時間で終了し、その後記者会見が行なわれました。

記者の方があまり多くなかったため、あまり活発な討論とはなりませんでしたが、裁判中の心境などを語る姿は頼もしく見えました。

記者会見の後、直接打ち上げ会場へ移動し、裁判お疲れ様会を行ないました。原告団は初めて食べる「すき焼き」に緊張をほぐしていました。

その後、新宿へ移動。クリスマスイルミネーションを堪能し、最後には都庁の展望台へ。皆、東京の夜景に目をうっとりさせていました。8歳のユキちゃんは夜景よりも、おみやげコーナーに置いてあるおもちゃに興味津々。あんなにしっかりとした言葉で意見陳述していたけれど、やっぱり可愛い8歳の女の子なんだなと微笑ましく思いました。

12月23日

滞在もこの日が最後。大役も果たしたということで最終日は思いっきり観光し、日本をエンジョイすることに徹しました。朝8時にホテルを出発し、東京タワーへ。晴れていて、富士山も見えました。作りかけのスカイツリーを指差し、「次来た時はあれに上ろう」とジェームスは自分に言い聞かせるようにつぶやきました。

次に若者の街、原宿へ移動。

原宿駅にてユリコは、ケースを担当して下さっていた田島弁護士と初めて会うことができ、また田島先生がユリコの父親から預かっていたプレゼントも受け取りました。

理事の豊島さん、国籍確認訴訟弁護団の弁護士さんの1人である宮内先生、ボランティアのフィオナさんも合流してくれ、みんなで回転寿しを食べに行きました。

昼食後は、人をかき分けながら竹下通りを歩き、お決まりの100均へおみやげ調達にいきました。子どもたちはお小遣いをあまり使わず、必要最低限のおみやげを買い、賢い買物をしていました。この3日で日本の物価の高さを身に染みていたようでした。最後にみんなで記念の「プリクラ」を撮影し、成田への帰路に着きました。

「成田にきたのが2日前とは考えられないほど充実していた」とジェームス。

みんな「また絶対来たい。」そう言いながら元気に手を振って帰って行きました。

カンパを頂いたみなさま、ボランティアでかけつけて下さったみなさま、本当に有難うございました。在比のケースで、特に日本国籍を有しないJFCが来日するということは、ビザと金銭面において簡単なことではありません。

多くのJFCは、訪れたことのないもう一つの故郷である日本への望郷の念をもっています。この多感な時期に日本を訪れ、また裁判所で自分の意見を述べるチャンスがあったということは、彼らの自信に繋がることでしょう。そして、何よりこの裁判で勝訴することができれば、この上ない満足感を得ることができるに違いありません。彼ら想いが裁判官の心に届いていることを願います。

(文責:原めぐみ)

滞在中の写真もマリガヤハウスのGoogleサイトに載せましたので、ご覧ください。

http://picasaweb.google.com/maligayahouse/NationalityProjectJapanTrip2010?authkey=Gv1sRgCPq1_qeSmO-WqQE&feat=directlink