国籍確認訴訟控訴審の意見陳述

国籍確認訴訟控訴審の第一回期日が9月19日にあり、原告である
子どもたち3人と母親一人が意見陳述しました。
以下は、4人の陳述内容です。

<オフェリアさん>
 私は1960年2月29日生まれのフィリピン人、オフェリア・リヴェラ・ケサダです。私は12人の兄弟姉妹の8番目として育ち、私たち家族の生活はとても貧しいものでした。そして、私は家族を助けるためにエンターテイナーとして日本に働きに来ました。はじめは、日本語もよくわからず、とても怖い思いをしました。しかし、苦しみに耐え、日本語を学びました。そして、何度来日を繰り返したことでしょう。いつの間にかエンターテイナーとして日本に再び戻ってくることが難しい年齢になっていました。私はフィリピンに帰っても将来がないこと、そして貧しい両親や兄弟姉妹をまだまだ助けなければならなかったために、職場から逃げ出し日本に残ることを心に決めたのです。
 私は在留資格がないためにさまざまな困難を経験してきましたが、フィリピンに帰ることを考えて、どんなことにも耐えようと必死に耐えてきました。そしてそんなとき、私は子どもの父親と出逢ったのです。私は彼の言葉を信じ、彼と2年間のお付き合いをして、ユウジを身ごもりました。そして、ユウジは今、6歳となり、小学校に通っています。
 一人の女性として、自分の子どもを持つことは夢でした。私はすでに39歳となり、子どもを産むためにはこれが最後の機会だと感じていました。彼はさまざまな言い訳をして、子どもを堕ろしたがりましたが、私はそれに応じませんでした。そして、彼なしにお腹の子どもを育み続けたのです。
現在、私は一人の母親として子どもによい将来を与えたいと願っています。私が子どものときにはとても貧しくつらい思いをしてきました。私は、自分の子どもにはそうした思いをさせたくありません。
 この日本で、息子は生まれ、さまざまな文化を培いながら育ってきました。息子は他の日本人の子どもたちと同じだと思っています。話す言葉は日本語で、父親は日本人です。
 私をはじめ、私の息子と同じ問題を抱える子どもたちとその母親たちは、みな子どもたちに日本人としての権利を認めていただきたく、この法廷に来ています。あなた方もきっと子どもを持つ親なのだと思います。よりよい子どもたちの将来を願う私たち親の願いはひとつです。こうした子どもたちはみな私たちの将来でもあるのです。


<まさみちゃん>
 私はタピル・マサミです。私の名字はタピルなんです。だけど、いやではありません。私には妹がいます。私と妹のお父さんは一緒です。私は学校で、「外国人、外国人」といわれるとき、とてもつらいです。私は、自分のことを外国人だと思っていません。外国人ってなんですか? 外国の人ということですか? 私は外国の人ではありません。日本の人です。日本人と呼ばれたいです。みなと同じになりたいです。妹と同じ国籍になりたいです。私の気持ちを聞いてください。私と同じ気持ちでいるたくさんの子どもたちの声を聞いてください。

<ラファエルくん>
 こんにちは。僕はラファエル・リゴンです。僕のお母さんはフィリピン人で、僕のお父さんは日本人です。でも、僕のお父さんは日本人だとお母さんに言われていますが、お父さんの記憶はありません。だけど、僕は自分のことを日本人だと思っています。それは、僕は日本で生まれ、日本の学校に通っています。日本のことしか知りません。フィリピン人だといわれてもよくわかりません。外人だといわれて、いじめられることがとてもつらいです。僕は外国の人ではありません。日本人です。どうしていじめられなければなりませんか? 僕のお母さんがフィリピン人だからですか? 僕は日本の友達の仲間になりたいです。僕は差別されたくありません。日本の国籍をください。お願いします。

<ジュリアン(ジュリアン・チットム)ちゃん>
日本国籍をください。私は日本で生まれてお父さんが日本人で、日本の学校に通っています。日本語しか話せません。友だちもみんな日本人です。フィリピン人のお母さんと日本人のお父さんから生まれ、お父さんが日本人なのに、日本国籍をくれないのはおかしいと思います。裁判官、私は、この裁判に参加するようになってから、私は一生懸命勉強して、裁判官になりたいと思うようになりました。裁判官は人々の正義のために、人々の平等のために、働いています。素晴らしい仕事です。裁判官、私は、裁判官になれますか? 私がこの裁判をしたいと思ったのは、私が日本国籍を持てないとしたら一生後悔をするからです。私は最後まであきらめません。私みたいな人もたくさんいます。私はそういう人たちの代表です。